このたび、コミュニケーションギャラリーふげん社では、2024年6月28日(金)から7月21日(日)まで、第三回ふげん社写真賞グランプリ受賞を記念した浦部裕紀個展「空き地は海に背を向けている」を開催いたします。本展に合わせ、同名写真集がふげん社より刊行されます。また、第三回ふげん社写真賞の準グランプリを受賞した中村千鶴子個展「冬のスケッチ」も同館2階で同時開催いたします。
浦部裕紀は、1985年東京生まれ、2010年に早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻修士課程修了。大学院在学中に写真と出会い、以降はアルバイトをしながら自己の写真表現を追求し、第11回(2014年)・第13回(2015年)写真「1_WALL」ファイナリストに選出。2021年に開催された第一回「ふげん社写真賞」から毎年応募を重ね、2023年第三回「ふげん社写真賞」グランプリを受賞しました。
本作「空き地は海に背を向けている」は2011年3月11日の東日本大震災に端を発しています。東京で被災した浦部は、その日を境に、メディアが連日衝撃的な映像を流し、「連帯」を熱心に呼びかけ、そしてそれを忘れていく社会に強烈な違和感を抱きました。
2020年にパンデミックが全世界を覆い、「自粛」や「ステイホーム」などの言葉が飛び交うようになった時、浦部はふと被災地の「安心と安全」のために建設された防潮堤のことを考えるようになり、実際に複数回にわたって足を運びました。そこに出現していたのは、海と陸を無機質に分断する巨大建造物と、コピー&ペーストを繰り返したような防風林の、あまりに単調すぎる風景でした。あの頃、何もできなかった自分が、モニター越しに目の当たりにしたショッキングな映像のリアルと、実際に被災地に赴いて目の当たりにした、あまりに人工的な景色との落差。それらを一枚ずつ定着するかのように、岩手県宮古市から茨城県東海村まで海岸線沿いの空き地にポツンと佇む人の影、震災伝承館の模型、延々とつづく防潮堤を撮影し、そして靄のように脳裏に浮き上がってくる津波の映像を東京の自宅でモニターにシフトレンズを向けて長時間露光撮影していきました。
幼少期から、予定調和な社会や、正しすぎる倫理に対して漠然と反発を覚えながらも、それらに対してどうしようもなさを抱えながら生きてきた浦部は、「震災」から始まった自分の社会に対する違和感を、「当事者」ではない自らの立場も含め、そこから逃げずに初めて対峙したのが本作品です。
日本で生活する者にとって、これからも大きな震災は必ず発生し、そこに被災地と非被災地、当事者と非当事者が生まれます。その時に自身はどのように振る舞うのか、どんな思いに駆られるのか、何をするのか、それについて思いを馳せていただければ幸いです。
■開催概要
第三回ふげん社写真賞グランプリ受賞記念
浦部裕紀個展「空き地は海に背を向けている」
同時開催:準グランプリ・中村千鶴子個展「冬のスケッチ」
会期:2024年6月28日(金) 〜7月21日(日)
開館時間:火〜金 12:00〜19:00 土・日 12:00〜18:00
休廊:月曜日
会場:コミュニケーションギャラリーふげん社
〒153-0064 東京都目黒区下目黒5-3-12
TEL:03-6264-3665 MAIL:info@fugensha.jp
■イベント
①6月29日(土)14:00〜15:30
ギャラリートーク 浦部裕紀×飯沢耕太郎(写真評論家)×町口覚(造本家)
※トーク終了後にオープニング・レセプションを開催します。
チケットは、オンラインストアからご購入ください。https://fugensha-shop.stores.jp/
※オンラインストアからのご購入が難しい場合は、ふげん社(03-6264-3665)までご連絡ください。
※配信チケットのアーカイブ視聴可能期間は2024年8月4日(日)まで
②7月6日(土)、7月20日(土)各日14:00〜14:30
ガイドツアー(無料・申込不要)
作家本人とギャラリーディレクターが本展の見所などを展覧会場にて解説いたします。
参加ご希望の方はお気軽にギャラリーにお越しください。
■新刊案内
浦部裕紀『空き地は海に背を向けている』
発行所:ふげん社
造本設計:町口 覚
サイズ:249×312mm、並製本、オープンバック
頁数:96頁
写真点数:86点
定価:6,600円(税込)
■アーティスト・ステートメント
変わり映えのしない眺望。波の音あるいは静寂。そして忘れてしまった、あの手触りのない記憶。それらが渾然一体となって、ぼくの中で渦巻くようになったのはいつからだろう。ぼくはもう、2011年3月11日の東日本大震災の日から続いた、全てが裏返ってしまうような衝撃をありありと思い出せない。そんな自分の忘れっぽさに苛立ちが募る。ここは風通しのいい場所なのに、独特の閉塞感が重くのしかかってくる。だが、そうやって何も撮れずに歩き続ける行き場のなさをきっかけに、自分の中にあるものが沸き立つことが時折あった。それはあの頃、洪水のように押し寄せてきた「映像の記憶」だった。ただしそれは、もやのようにどこまでも不明瞭なイメージしか届けてくれない。だが、あの映像はぼくの記憶の水底に澱のようなものを残し、それは今になって確かな熱を帯びていた。
ぼくが忘れていたあの頃のことを思い出すようになったのは、2020年以降のことだ。耳障りのいい正しい言葉のもと、社会が一気に一つになる。安心と安全ばかりを重視した余裕のない未来が差し迫ってくる。分断ばかりが目につき、生きていくことの複雑さがどんどん見えづらくなっていく。変わり映えしない日々を無気力に過ごす中で、そうした感覚が、あの頃の記憶をかすかに呼び起こすようになっていた。
「思い出す」と言っても、実際は自分に思い出せないものがいかに多いかを突きつけられることばかりだ。過去はどこまでも遠い。その記憶の源を訪れても、それは何も変わらない。事後の単調な風景を目にするたび、ぼくが憤りを感じても、忘れていたお前にそう感じる資格はあるのか、とすぐに自分に跳ね返ってしまう。怒りが乱反射する中で、ぼくにとって確かなことは一つしかなかった。そんなどうすることもできない不可能性を前に、ただ頭を垂れ続けるような真似はもうしたくない。その気持ちだけはこれまでにないほど明瞭だった。そんなどうしようもなさからこそ生まれてくるものがある可能性に賭けて、ぼくはどこにいようと、ぼくに宿った熱とともにあの頃にまつわるものを撮り続けた。
力強く生きたい。けれどそんなことは許されない。忘れたくない。けれど忘れてしまう。正しすぎる倫理や道徳におさまりたくない。けれど、けれど……。そんな循環するどうしようもなさをずっと抱え続けてきたぼくにとって、そこはまさに極点だった。そこから何ができるのか試したかった。何もできなければ、ぼくはもうそこで終わりだ。
映像を見ることしかできなかったのは、2024年の元日でも変わらない。しかし、感覚と連動を繰り返し、忘れていた記憶は時を経て熱を宿す。それはすぐに消えてしまうのかもしれないが、それでもぼくをどこかに突き動かすのは確かだ。それがどこかなんて知らなくていい。ただかすかにでも火を灯し続ける。例え灰と化してもまだ熱く。それはぼくにとって生きていく理由に他ならない。
■プロフィール
浦部 裕紀 Hiroki Urabe
1985年 東京都生まれ
2010年 早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻修士課程修了
2014年 第11回写真「1_WALL」ファイナリスト
2015年 第13回写真「1_WALL」ファイナリスト
2021年 第1回ふげん社写真賞ノミネート
2022年 第2回ふげん社写真賞ノミネート
2023年 第3回ふげん社写真賞グランプリ
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